tairoの徒然日記

心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書く日記

運とかいうゴミステ

さぁ新時代、令和になりましたね。

元号が変わるというだけなのに、世間はさながら年越しの様相です。

渋谷のスクランブル交差点はお祭り騒ぎでしたね。

 

そんなわけで、今回は新年にまつわる持論を展開してみようと思います。

(なお、新年は迎えていない。元号が変わっただけである。)

 

あ、ちなみにこれが記念すべき10回目の投稿です!!

————

 

皆さんは “占い” をどれだけ信じますか?

 

時と状況によりますが、

私は基本的にあまり信じません

 

信じる時というのは、

何かの勝負事の前とか、

何かしらの一大イベントがある前に、

験担ぎのつもりで信じてみたりします。

 

まぁ、心細いときは何かにすがりたくなるみたいな、そんな感じです。

 

さらに言えば、結果が悪いと信じません

当たり前です。

いい結果ならまだしも、悪い結果まで信じて何になるんでしょう。

 

と、占いにある種の嫌悪感を抱く私ですが、

こうなったのにも、いくつか思い当たる節があります。

 

1つには、私の誕生日が関係します。

 

こんな経験をしたことがある人はいませんか?

 

「この本では、この誕生日は○○座だけど、こっちを読むと△△座なんだよなぁ。」

「めざまし占いは何日~何日が何座かがわからないから、当てにならないじゃん。」

 

ズバリ、私がこれです。

そうなんですよ。

めざまし占いが信用ならないんですよ。(笑)

 

私が幼少の頃、「超星神グランセイザー」という、
星座をモチーフにした戦士たちが戦う特撮作品が放送されていました。

きっと皆さんは知らないと思いますが(笑)

 

f:id:tairo0079:20190501030756j:plain

超星神グランセイザー 全12戦士

幼いながら薄々その事に勘づいていた当時の私は、

どの戦士を応援していいかわからずにいた事を覚えています。

 

そうやって、星座占いがあまり信用できない環境に

生まれながら存在した私ですが、

星座占いに限らず、占いを信じないのは、

そのせいだけではありません。

 

それは、

運は運以外の要素でどうにか補えると考えている

ということが関係します。

 

麻雀を例に説明しましょう。

と言っても、やらない人からしたら、全くわからないとは思いますが。

 

何度かやったことがある人にはわかると思いますが、

ぶっちゃけ、麻雀ってのは運ゲーです。

だって、いつ何の牌が手元に来るかわからないんですもの。

 

ただ、運ゲーなのにも関わらず、

麻雀にも強い人弱い人がいるわけです。

その違いを一言で表すことは難しいですが、

あえて言うなら、

場の流れを読むのが上手かどうかが大きく関係します。

配牌の流れから自分の手を変えて待ち牌を考えるのが、麻雀の定石です。

 

つまり、運ゲー運要素をできるかぎり薄めて

運ゲー自分の能力値・経験値を持ち込んで勝負するんです。

 

私は、実生活も同じだと思っています。

 

時としてうまくいかないこともありますが、

そういうときは、少しやり方を変えたりして、

麻雀で言えば、狙う役を変えたりして、

自分に有利な待ちを作っていこうと試行錯誤をします。 

 

そうすることで、運というステータスが

実生活にあまり関わらない

ゴミステ(ゴミ同然の役に立たないステータス)になるのです。

 

もし、どうしても流れに乗れないとなれば、

今度は、自分の損害をいかに最小限にするかを考えます。

ロンを打たないように、慎重に行動するのです。

 

もともと、リスクを冒すことがあまり好きではない私は、

この作業が結構好きです。

どうしたら自分が損をせずに済むか、

しょっぱくてもいいから、どうにか少しでも利益が出せないか、

それを考える時間が、ゲームの攻略法を考えているようで楽しく感じるのです。

 

当然ですが、

そんなことをせずに生活している人がほとんどだと思います。(笑)

 

でも、占いの結果だとか、ツキの良し悪しで一喜一憂する時間が、

私には非常に勿体なく感じるのです。 

 

それも含めて人生だと言われれば、私に反論の余地はありませんが、

それにとらわれず、自分の思い通りになるように

配牌の流れを読みながら生活するのも

また一興ではないでしょうか。