火気厳禁
私は負の感情を表に出すことをあまり好まない。そのため、それを内に溜め込むことが多い。しかしながら、最近はそれでは収まらないほどの負の感情が湧き上がってしまっている。原因は既に判明している。「人間関係」である。私も、ようやく現代人的な悩みを持てるようになったかと若干喜ぶ一方、それがストレスとして私を強く苦しめている。その相手というのも、もともと苦手な相手であったのを、どうにか冷たく接しすぎないよう、私が出来うる限りの譲歩をしてきた人間なのである。そんな私からすれば、その彼もしくは彼女の行動は全くもって不徳の致す限りであると強く感じる。恩を仇で返された気分とでも言おうか。ただ、その恩も、私の一方的で個人的事情に基づく、不要の気遣いによるものであったのだが。だがしかし、私は憤っている。憤怒。おこ。おっと、これは失敬。つい取り乱してしまった。話を戻すと、最近の私は、負の感情という名の有毒ガスを内に溜めこんでしまっているのである。
「馬鹿につける薬はない」とよく言うが、おそらくその彼もしくは彼女にも、どんな聖人の爪の垢を煎じて飲ませても、効果はまったく無さそうである。その崇高なる自尊心をへし折ることは私にとっては造作もないが、夏目漱石先生の『こころ』に登場するK氏のように、それが原因で自殺されてもそれはそれで困る。と言っても、その彼もしくは彼女は、K氏のような思慮深い人間でもないのだが。だからこそ、溜まるのはただのガスではなく、有毒ガスなのだ。溜まっていくそのガスによって、私はゆっくり、そして確実に心身を侵されていく。
とある漫画に出てくる台詞に「あまり強い言葉を使うなよ。弱く見えるぞ」というものがある。その言葉には強く同意するが、今の私はそんなことは構わないから好きなことが言いたいのである。せっかく言論の自由が保障された国にいるのである。その権利を存分に使わせていただきたい。もうお気づきだろうが、たった今、このブログは私の心の声の吐き溜めとなってしまっていることをどうかお許しいただきたい。時々こうしてガスを抜かないと、何がきっかけで大規模なガス爆発を起こすかわからない。仮に起きたとして、どの程度の範囲に影響を及ぼすことになるかは皆目見当もつかない。周りの人を巻き込むのはいささか気が引ける。だから、こうしてブログの記事として私の負の感情という名の有毒ガスを昇華させることによって、その蓄積量をどうにか減らしていこうとしているのである。と、ブログをガス抜きの有効な手段とすることを、自分の中で正当化する理由を作り出すことに成功した。
どうだ。私が弱く見えるか。いささか小さい人間にも見えるだろう。見えたなら見えたでいい。だが、私とて人間。腹が立つことはある。それで小さいだのなんだの人を偉そうに評価している奴の方がよっぽど小さい人間だと思うが。なんてくだらないことを考えていると、私のどこかすぐ後ろの方からも少量の有毒ガスが漏れ出ていく音がした。