tairoの徒然日記

心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書く日記

変化球

 暑い日が続いていますが、連日ワイドショーを盛り上げるホットな話題がいくつかありますね。忙しいながらも、ざっくりネットニュースに目を通していた私ですが、吉本興業の一件は非常に目を引きました。

 再三言葉の使い方だのなんだのをほざいてきた私も、とうとう喋りのプロに食ってかかる日が来た……訳ではありません(笑)。今回食ってかかるのは、社長の “あの” 記者会見です。

 実は、記者会見当日のあの時間、私は奇跡的に家に居たので、YouTubeで生配信されていた記者会見の様子を、一部だけですが、リアルタイムで見ていました。のちに物議を醸し出すことになったあの発言もリアルタイムで聞きました。「場を和ませる冗談のつもりだった」ってやつです。不覚にも笑ってしまいましたね。多くのお笑い芸人を抱える会社の社長の笑いのセンスは相当尖ってるなって。ですが、まぁ騒動の中身なんかはどうだっていいです。言ったらあれは “ただのお家騒動” でしかないので、部外者が安易に口出しすべきではないでしょう。

 しかしながら、あの発言がその場しのぎで苦し紛れの釈明だったとしても、自分が冗談のつもりで言ってることが、相手には本気で言ってるように聞こえていたなんて経験はありませんか?私はあります。だから、笑ってしまったと同時に笑えないなとも思いました。

 私の友人に、下ネタを「ネタ」として昇華させることに命を賭けている男がいます。周りの人間(私を含め)は、彼が発する下ネタに「上品な下ネタ」とかいう訳のわからない評価をしています。今回の「伝わらない冗談」と「上品な下ネタ」はある種同質のものではないかと思うのです。

 その彼はよく、「下ネタは文脈に合うように言わないと、それは下 “ネタ” ではなく、ただの汚い下品な言葉に成り下がる」と神妙な面持ちで言います。冗談だって一緒ではないですか?冗談が冗談だと伝わる文脈で言わないと、それは冗談ではなくなります。冗談や下ネタは、わざと多義的な言葉を選択することにより、初めて成立するものです。ですが、それが上手くやれる人でないと、コミュニケーションツールとして使うことはできないのです。生憎、私には下ネタを上品に言う技量はありません。しかしながら、それが冗談になるとそれなりに自信があります。私は私で、嘘・ハッタリが大好きなので、その使い方には多少心得があります。ましてや、私が言う冗談にはいつも皮肉を多分に含むので、難易度は更に高いのです(というか、自分で勝手に難易度を上げているだけですが)。ただの冗談ならまだしも、皮肉交じりの冗談なんて物は、使い方だけでなく文脈や、さらには自分の立ち位置などを総合的に考慮した上で使う必要があるのです。雇用主が雇用者に対して、話し合いの場でいきなり「テープレコーダー持ってないよな」なんてことを言えば圧迫ないしは脅迫になります。後輩が先輩のことを、自分のことを棚に上げて「あの先輩はバイト先では人望がありません」なんて言うのは単なる侮辱でしかありません。社会的立場が上の者が誤れば圧迫や脅迫、下の者が誤れば侮辱になってしまうのです。冗談や下ネタを使ってコミュニケーションをとるのはやはり難しいですね。まぁ地雷を踏むのが怖ければ、潔く言わない方が身のためでしょう。

 もうひとつ、この流れで言及しておきたいことがあります。それは「 “ネタだ” と言えば何を言ってもいい」みたいな風潮です。私はこれを自慢げに振りかざす人を見るといつも胸くそ悪くなります。不愉快です。当然、先程までの下ネタ然り、冗談然り、はたまたイジり然り、文脈を無視したそれらは、もはやコミュニケーションツールとは呼べません。いえ、呼ぶべきではありません。それらを使う場合は全て、話し相手に必要以上の不快感を与えないことが大前提です。その上で、上手い人下手な人が出てくるのです。仮に不快感を与えてしまったとしても、その後のフォローを上手くやれば “面白おかしい会話” という範疇に留めることだってできます。理想を言えば、フォローまでをできるようになって初めて冗談や下ネタを使うべきでしょう。

 何にせよ、会話はキャッチボールです。相手がいないと成立しないのです。冗談などという変化球を投げるのならば、相手が捕れるところに投げてあげないと、ボールは返って来ませんよ。

 

 とは言え、キャッチボールで変化球を投げるなんてこと自体がそもそも邪道なんですけどね。