tairoの徒然日記

心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書く日記

そうだ、君の個性の話をしよう。

 「個性的」そう呼ばれる人間が近くにいることはないだろうか。わたしの周りにも少なからずいる。なぜその人たちがそう呼ばれるのか、考えることがある。もっと言えば、 “個性” とは何かを考えてしまう。

 『僕のヒーローアカデミア』という作品をご存知ないだろうか。この作品は、 “個性” と呼ばれる生まれながらの「能力」を持つ少年少女たちが、それを活かして人助けをする “ヒーロー” と呼ばれる「職業」につくまでを描く物語である。主人公は能力を持たない “無個性” の少年である。それが、あるきっかけによって “個性” を持ち、ヒーローを目指すことになるというところから物語は始まる。

 こんな世界に住んでいれば、何と生きやすいことかと思う。最近では、面接試験でも自己アピールをさせられることがある。目に見える個性を持っていれば、どれだけ楽に自分を表現できるだろうか。まして、自分の “個性” に見合う職業を探すことに苦労もあまりないだろう。しかし、それができないのが、私たちの住む現実世界である。目に見える個性を持たないのに、眼に見える形で個性の主張を求められる。これがどれほど難しいことか、考えるのは容易であろう。「自分の得意なことを言えばいい」とアドバイスをもらっても、「自分ではこれが得意だと思っているけど、こんなことができる人なんていくらでもいるだろう」などと考えてしまうことはないか。これは実に日本人的考え方ではないかと思う。自分の強みは何か。自分は何が得意か。自分が他者より優れていることは何か。自分にしかできないことは何か。客観的に見出される絶対的な “個性” を持たない私のような人間にとって、それを求められる社会はどれだけ住みにくいだろうか。

    フィクションの世界観を、つい現実世界に持ち込んでしまうのが私の悪い癖だ。ないものねだりをしても仕方ないのは、頭では理解しているが、それでも羨ましいものは羨ましい。個性ほど不確実でかつ必要不可欠なステータスを、私は他に知らない。私の「個性」とは一体何だろう。自問自答の終着点が未だ見えることはない。