tairoの徒然日記

心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書く日記

#ありがとう慎之助

 阿部慎之助。言わずと知れた日本球界の大スターの1人。今季は5月に上原浩治もユニフォームを脱ぎ、また1人2人と巨人、そして日本球界を支えた名選手たちが一線から退いている。言い忘れたが、私は幼い頃から巨人ファンだ。というのも、私の地元はドがつく田舎なので、プロ野球のテレビ中継を観ようと思っても巨人戦しか観られなかったのだ。加えて、よく一緒に野球中継を観ていた祖父も巨人ファンだった。だから、私が巨人ファンになったのは必然だった。

 これを言うと、同じく野球ファンの人には世代がバレてしまうが、私の幼少期の巨人には、当時のエースであった上原浩治東野峻、若手として台頭していた内海哲也を初めとした先発陣に、久保裕也越智大祐、M・クルーンといった救援陣を抱える厚い投手陣、さらに1番・高橋由伸から始まり、小笠原道大、A・ラミレス、李承燁の強力な中軸、そして彼を7番に置いた下位打線という、分厚い選手層が魅力の常勝軍団だった。

 そんな当時の巨人軍において、彼は埋もれていたという訳では決してなかった。入団当時の監督であった長嶋茂雄によって、早くから一軍での試合経験を積み、跡を継いだ原辰徳によって、さらに精神的支柱という役割も与えられ文字通りのチームの要として不動の地位を築いた。野球ファンの間では、“打てる捕手” の代名詞として彼の名前を挙げる者も少なくない。かく言う私もその1人。私が物心ついた頃の日本球界の捕手事情と言えば、古田敦也は全盛期を過ぎ選手兼任監督を務め、城島健司は渡米していて実際の活躍をリアルタイムで見る機会もないという状況だった。だから、私がリアルタイムで観てきた “打てる捕手” の最たる人物は彼なのである。

 彼は、数多くのドラマを私たちに見せてくれてきた。今なお語り継がれるドラマの1つで、私がリアルタイムでテレビ越しに目撃したエピソードがある。「牽制のサインを見落とした澤村拓一をマウンド上で一喝」というエピソードだ。今頃になってあれは体罰だからよくないとか訳の分からない批判をする輩もいるらしいが、あれは彼ら2人の関係性をよく示すエピソードとしても、多くの野球ファンの記憶に刻まれている。彼を語る上で、100人が100人この話題に触れるのではないかと感じるほど、私にとって深く印象的な出来事だった。先日の本拠地最終戦で、再びマウンド上の澤村拓一に詰め寄り、今度は帽子を叩くのではなく握手を交わしたそのシーンを、私は一生忘れることはないだろう。

 巨人ファンとして、私が巨人を語る上で欠かせない人物の1人。ここまで一気に書き切って、いざ読み返すと何とまとまりのない文章だろうと思う。だが、もはや直すことはしない。これが、私の彼に対する思いであるから。これを文字というものでまとめることなど、最初から不可能だったのである。それでも衝動的に書きたくなったのだ。そもそも、こんな長ったらしい文章など必要なかったのかもしれない。

 

 改めて、ありがとう慎之助。