tairoの徒然日記

心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書く日記

雑草魂

 先日、阿部慎之助選手の引退に際して長々と、そしていつになく取り留めのない記事を書きました。その中で上原投手の引退についても軽く触れました。実は、上原投手の引退発表の直後にも、彼に対する私の取り留めのない思いを綴った記事を1つ書き上げていました。個人的にあまりしっくり来なかったので、下書きのまま投稿せずにいましたが、思ったことをひたすら情動的に書いた阿部選手の記事よりは、いくらかまとまりがあるようにも思ったので、少し再編集して投稿しようと思います。

 

 球界最年長の投手である上原浩治投手が5月20日に突然の引退発表。世間を大いに騒がせました。彼の全盛期(渡米前)をテレビ越しに見ていた私にとっては、なんとも言えない気分にさせるニュースでした。小学校時代、地元の軟式野球チームで野球をやっていましたが、彼がいなければ私は野球を辞めていたと言っても過言ではありません。

 

上原浩治―闘うピッチャー魂 (シリーズ・素顔の勇者たち)

上原浩治―闘うピッチャー魂 (シリーズ・素顔の勇者たち)

 

 この本との出会いが、私の野球への向き合い方を変えました。

 当時の私は野球が嫌いでした。厳密には野球チームが嫌いだったのですが、当時の私にとってはもはや同義です。そんな時に彼の半生を描いたこの本を読んだのです。私の心を打ったのは、彼の考え方の根本となっている「雑草魂」という言葉です。雑草は邪魔扱いされて、踏まれたり、引っこ抜かれたりする。だけど、それでもしぶとく生き残ってると、いずれきれいな花が咲く。自分もそうやって、挫折を味わうかもしれないが、それを乗り越えていつか夢を叶えてやる。そういう考え方です。その言葉があったから、私はどれだけ嫌でも野球を辞めずに頑張れたのです。そういった意味で、上原投手は当時小学生だった私のヒーローでした。その後、上原投手はMLBで活躍し、所属チームの優勝にも大きく貢献しました。(スーパースターにこういう表現を当てはめるのは失礼にあたることを重々承知で、あえて言わせてもらいますが)雑草が大輪の花を咲かせた瞬間だと言えるでしょう。かく言う私はと言うと、中学校に進学後も軟式野球部に所属して、3年間野球に取り組みましたが目立った成績を残せず、燃え尽き症候群に肘の故障が重なり、そこで野球を辞めました。私自身は、野球で飯を食っていこうという気は全くありませんでした。なので、ある意味で、特にこの肘の故障というのは野球から身を引くいいきっかけになりました。

 後になって、心の底から野球が嫌いだった訳ではなかったというのがよくわかりました。本当に嫌ならとっとと辞めてるでしょうからね。先程も書いた通り、私が嫌いだったのは “野球をすること” ではなく “野球チームに身を置くこと” だったのです。大学生になった今では、野球ではなく、ソフトボールの同好会に所属して、ゆるゆる野球(に近しいスポーツ)をしています。何にも縛られることなくストレスフリーで体を動かせるのは非常に楽しいです。そうやって、今でもそれなりに野球ができるのは、あの頃嫌々ながらも真面目に取り組んだからだろうと思います。そういった点では、当時お世話になった皆さんには感謝しています。そして、野球を頑張る理由をくれた上原投手にも(かなり一方的ですが)とても感謝しています。

 

 皆さんには、人生のターニングポイントになった人はいるでしょうか。正直なところ、上原投手が私のターニングポイントになったかと言えば微妙なところです。ターニングポイントというより、価値観を変えてくれた人という言い方が正しいかもしれません。何にせよ、上原投手が幼い頃の私の野球観に大きな影響を与えたのは事実です。日本のエース・守護神として、そして世界の守護神として活躍された上原投手。彼のユニフォーム姿が見れなくなるのは寂しいですが、これまでの活躍はすべてのプロ野球ファンの心に刻まれていることでしょう。

 

 改めてお疲れ様でした。

 そして、ありがとうございました。