tairoの徒然日記

心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書く日記

コミュニケーションを考える ー「字が綺麗でした」から見るひねくれ者流 “メタ読み” ー

  久方ぶりの投稿になりました。週1ペースを何とか死守したいものですが、理想と現実は大きく違うなぁと頭を悩ませる日々が続いています。

 さて、先日私が通う大学では大学祭なるものが開催されまして、私が所属するゼミでは、毎年恒例ではあるのですが、ゼミ展示を行いました。“ゼミ” と一口に行っても、大学一般に設置されているいわゆる “ゼミ制” とは少し違いまして、私の所属学科では “自主ゼミ” という、専門(にしたい)分野ごとで、学生たち自らがゼミを開催するという方式をとっています。したがって、“ゼミ” は存在するが、“ゼミ制” は存在していないという、周りから見れば少し奇妙な状態が、私の学科では伝統的に続いている訳なんですね。(同じ大学内でも、このような方式を採っている学部・学科が少ないので、他学部の友人にゼミの話をする際は、毎回同様の説明をしないといけなくなり、少々面倒に感じる自分もいます。)

 話を本題に戻しましょう。展示を開催するにあたり、来場者の方々に、アンケートの記入をお願いしていました。数日前にその集計を終えたのですが、正直アンケートの集計って結構ストレス溜まるなぁと(笑)。色々と思うところはあったのですが、特に私の目を引いたのは「字が綺麗でした」とだけ書かれた回答用紙。展示に使ったパネルは、手書きで作成していました。私自身は字が大変汚く、パネルの字は女子のゼミ員に書いてもらっていたので、私にかけられた言葉ではないことは自覚しています。だからこそ、余計に目に止まったのかもしれません。そうやって書いてくださった方々は、心の底から「字が綺麗で読みやすかったなぁ」と思って書いてくださっていると思います。ですが、ひねくれ者の私が、それだけしか書かれていないアンケート用紙を目の前にすると、何かどことない虚無感を覚えるというか、「そっかー……」みたいな気持ちになってしまったんですね。私の個人的な思いとしては、読みやすい字で書くことも当然必要ですが、それ以上に来てくださった方に理解してもらいやすい展示を心掛けて作ったつもりでした。つまり、(書いてくれた彼女には大変失礼なのですが)字の綺麗さ以上に内容を見てほしかったのです。なので、「面白かった / 面白くなかった」「わかりやすかった / わかりにくかった」とかそんな程度でいいので、内容に少しでも触れてもらえればそれで本望だったのです。そんな思いを持っていざ「字が綺麗」の一言だけ書かれた回答用紙を前にすると、「この方には、私たちの展示はさほど印象に残らなかったのかな」「他に書けることないくらい、興味を引けなかった / 難しかったのかな」といった寂しさにも近い、何とも言えない思いになってしまうのです。しかも、それが1枚や2枚なら特筆することもなかったのですが、思いの外そのような回答用紙が多く見受けられまして、看過できなくなってしまいました。しかしながら、アンケートを書いていただけていること自体がそもそもありがたいことだということは、当然理解しています。それに、そのように書いてくださった方を非難する意図があってこの記事を書いているわけでもないということを、言い訳がましくはなりますが、断らせていただきたいと思います。

 こんな風に、ある言葉からそこに書かれていない意味まで読み取ろうとすることを、俗に「メタ読み」と言います。私は無意識的にメタ読みをしている節があります。今回もそのいい例です。メタ読みが上手く出来ると、相手の言葉の真意に早く気づくことができ、円滑なコミュニケーションの助けになると、私自身は考えています。特に、メールやSNS上でのやりとり、ひいては今回のようなアンケートのように、文字のみの意思疎通・意思表示を行う上では、必要性の高い能力だと思います。しかし、そればかりに気を取られていると、今回のように不要な心配や深読みをし過ぎるあまり、勝手に誤解をして自爆してしまう場合もあります。私自身がそのように深読みしてしまいがちな人間ですので、文字によるコミュニケーションをする場合は、私はその点を非常に気にします。どのような文面であれば誤解を与えないで済むか、結構考えながらやりとりをすることも多いです。逆に、私が真に伝えたいメッセージを別の文面に隠すこともまたあります。それを意地汚く使えば “皮肉” になってしまいますが、文字によるメッセージは、本人が想定する以上に強い意味を含んで相手に届くことも多いです。なので、皮肉めいた言葉・皮肉に解釈されそうな言葉は、文字でのやりとりではあまり使わないようにしています。(「それじゃあ、皮肉めいた言葉を使うときは皮肉だと捉えられてもいい時なのか?」と考えたそこのあなた。それこそがメタ読みですよ。)

 そんなように、偉そうにメタ読みだの何だのと言っていますが、私もコミュニケーションはまだまだ上手ではないと思っています。一朝一夕で身につけられる力ではありませんが、こうして時折、自分のコミュニケーションに疑問を持つことを大事にしていきたいと思います。

 いつになくぼんやりとした結びですが、今日はこの辺で。