tairoの徒然日記

心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書く日記

墓穴

 暑くなったり涼しくなったり、体調管理が大変な時期になってきましたね。

 

 さて、先日せっせとネットニュースを見ていますと、1つ気になる記事が。

乃木坂46メンバー、献血未経験!」

みたいな見出しの記事でしたかね。まぁ、大事なのは中身なんで、見出しなんかどうでもいいです(そうではない)。

 ここではあまり言ってませんでしたが、実は私、大学で献血推進活動を行うサークルに所属しています。なので、献血に関する記事は非常に関心がある所であります。今回取り上げたその記事も、そういった志向から閲覧したものでした。

 そのニュース記事の内容というのが、大変興味深いものでありました。現在、日本赤十字社は「みんなの献血」と題して、乃木坂46を広告塔に、多くの人の献血参加を呼びかけるキャンペーンをしています。そのニュース記事では、メンバーたちと、とある記者との記者会見でのやりとりがどうやら目をつけられたようでした。ざっくり要点だけを言うと、献血をしたことのない乃木坂メンバーが、献血への協力を呼びかけるのはいかがなものか。」という内容でした。

 私は疑問に思いました。というのも、私が所属するそのサークルにも献血ができないメンバーが多くいたために、何故彼女たちが批判を受けていたのか皆目見当もつかなかったのです。そのニュース記事の主張は献血をよく知らない人が、献血推進をしてもよいのか。と言うよりできるのか。」ということだと1人の読者たる私には感じました。その意見には概ね異論ありません。献血に限らず、それをよく知らない人に勧められても、興味を持つことはあまりありません。私が異を唱えたいのは献血していない=献血を知らない」という論理展開に対してです。確かに、記者会見に関する記事をその他にいくつか読む限りでは、乃木坂メンバーの対応からは献血に対する理解ができているとは決して言えません。ですが、彼女たちを批判するニュース記事を書いたその記者の方にも、献血への理解はできていないように私には見えます。(一応真面目に)献血推進活動に取り組んでいる私に言わせればまさしく醜い泥仕合です。

 何事も、そのことを知るにはまずやってみることだと言われます。百聞は一見にしかずというところでしょう。ですが、献血に限って言えば、やってみたいと思ってもできない人がいるということを、忘れてはいけません。献血の大前提は「健康な血液を寄付する」ということです。そのため、献血の前には多くの問診を受けます。さらに、献血には年齢・体重制限があります。これらはすべて、血液を受け取るレシピエントのみならずドナーの健康をも守るためのものです。

 今回の件に当てはめれば、おそらく乃木坂メンバーは体重制限に引っかかってしまうのではないかと思います。(見るからに体重が足りてないでしょうから…。)ですが、イメージ戦略等の関係から、メンバー自身の口から自らの体重に言及することもできず、結果として、記者たちに誤解を与えるような曖昧な受け答えをせざるを得なかったのではないかと推測できます。

 私がこの記事で、そのニュース記事を取り上げたのは、単なる批判が目的ではありません。それだと、ただ悪口を言うだけの寒い人になってしまいますから。この記事の真意はそうではなく、人間の説得力の根拠とは何かということです。おそらく、献血に明るくない人は、そのニュース記事を読んで、「いくら知名度の高い乃木坂とは言え、献血したことない人に行けって言われたって行く訳ないよな。」と安直に思ってしまうと思うんです。ですが、多少なりとも理解のある人間からすると、むしろ説得力がないのは、そのニュース記事の方だと思ってしまうのです。「いや、献血できない人が献血呼びかけて何が悪いんだ。自分は献血できないけど、何か協力したいって思ってる人はそうするしかないじゃないか。」と、私なんかは思うわけです。

 普通のネットニュースの記事は「一般向け」つまり「多数派の人向け」に書かれるものだと思います。だとすると、私が取り上げたそのニュース記事のライターは献血したことない人から勧められても献血に行かない人」が一般的な考えだと捉えていると言えます。それに当てはまる人からすれば、そのニュース記事は非常に説得力があるように見えますが、そこに当てはまらない人は逆に説得力を少しも感じません。さらに、そのニュース記事の痛いところは、それを批判する可能性がある相手が、その道に明るい人だということです。つまり、その記事よりも、さらに専門性の高い批判を受ける可能性があるということです。せっかくの批判的思考が、より専門性のある言説によって、さらに批判される訳ですから、説得力は激減します。その道に明るくない人は、より信ぴょう性の高い主張をする側を信用するでしょうから、これは必然です。

 何かを主張するときには説得力がある発言をしなければなりませんが、力点の置き所を間違うと全く響かない主張になってしまうということがこのニュース記事からわかりました。一見すると的確に見える批判でも、多角的な見地から考察できていなければ、それはかえって自分の墓穴を掘ることにもなりかねません。相手を埋めるつもりだった墓穴に自分が入ってしまわないように、自分の主張にも細心の注意を払わなければいけませんね。

 

 

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