tairoの徒然日記

心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書く日記

この気持ち、まさしく愛だ

 最近少し「愛の鞭」を履き違える人がいると思うのは私だけでしょうか?少し前になりますが、Twitter上でプロ野球ファンのなかで若干バズってしまった動画があります。東京ドームでの巨人広島戦の試合前に、観客の1人が巨人から広島に移籍した長野久義選手を侮辱していたという動画です。その動画を撮影したのが阪神ファンで、場所がバックネット裏(かなりいい席)であるという点でも別の意味で話題になったりもしました。

 「愛の鞭」とはなんとも便利な言葉ですよね。 “私には愛がある!” と宣言すれば何言ってもいいんですもんね。なーんてふざけた事を整然と言ってる奴は今後二度と口を開かないで頂きたい。本当に愛があって相手のために鞭を振るう人と、愛があるとかこつけて自分の欲求を満たすために鞭を振るう人では、大きくその発言に違いがあると私は感じます。簡単に言えば “一喝” なのか “悪口” なのかという違いです。さらに言えば、発言の中に理性があるかどうかです。今回のような、自分が応援しているチームに調子が上がらない選手がいるという場合で考えてみましょう。優等生ファンであれば、「調子悪いかもしれませんが、頑張ってください!」というような激励をするでしょう。これは愛の鞭というよりはむしろをあげているとも言える行動です。一方で、私のように「今日の試合のあの場面のあのプレーはまずかった」というような偉そうなことを言う人もいます。選手からしたら「そんなことわかってるからいちいち口突っ込むな」と思うでしょうが、自分が好きなスポーツ、まして部活などで経験したことのあるスポーツの選手であれば、つい言いたくなってしまうものなのです。このように、愛するスポーツの選手に対して(一方的ではありますが)を打つ場合も少なくありません。

 さて、問題視すべきは「そんなプレーするなら二軍行け」とか「いない方がまし」などというような発言が見受けられる点です。どういうつもりで言っているのかわかりませんが、相手が一流選手であろうが誰だろうが、相手を貶めるような発言は喝を入れているとは決して言えません。鞭を打つと言うよりはただ人を好き勝手に殴っているだけです。某見た目が子どもで頭脳が大人な名探偵も、言葉は刃物だと言っていました。直接的であれ間接的であれ、特定の人を誹謗するような物言いは、いくらその人に愛があると宣言していても看過できるものではありません。

 私の感覚として、このような発言をしがちな人は「中にはこういうことが言える人も必要だ」と考えているような気がします。確かに、最近怒れない人が増えていることがしばしば取り沙汰されています。なので、他人にも厳しくなれる人というのは貴重です。ですが、何度も言うように鞭を振るうことと暴力をふるうことはまったく別の話です。気晴らしのように目についた人間を攻撃することは、いくらファンを自称する人間であっても絶対にすべきではありません。まして、球場に行って、決して安くはないチケット代を払って、試合が始まる随分前から客席に座って、それでわざわざ選手に悪口を直接言うなんて、損をしてるのはどっちなんだと思いますよね。だからと言って、家にいながらテレビやネットで試合結果を見て、ネットに選手の悪口を書き込むのも同等どころかそれ以上に悪質だと思います。思ったことを口に出すことは悪いことだとは言いませんが、その内容には少なからず注意を払うべきでしょう。まして、ファンを名乗るのであれば、その熱い思いをもっと別の形で表現することを考えないといけません。

 別の角度からその行為を指摘するならば、相手を貶めるような発言は、同時に自分も貶めていることにも気づく必要があります。自分は楽しいかもしれませんが、自分を見ている人がいかに冷たい視線で見ているか、もう少し客観視してもいいのかもしれません。まぁ、何にせよ愛は時に人を狂わせるのです。何かを愛するという気持ちを、たまには見つめ直すことも必要かもしれませんね。