tairoの徒然日記

心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書く日記

倣うより慣れろ -「所感を述べよ」から見える思考表現力-

 先日、授業の課題の一環で読み物をしたという話から記事を1つ書きました。その課題というのが、読み物をしてその “所感を述べよ” というレポート課題(×5)だったのです。私自身は、さほど苦労もなく淡々と思った事を書いた(と言っても1200~1800字×5なので、物理的には相当しんどかった)のですが、周りの同じ授業を受ける人たちの中には、「所感を述べられるような内容の資料でもないのに、どうやってレポート書くの」と苦労した人もいたようなんですね。なんでかなーって考えたんですよ(もはや恒例行事)。その違いが生まれる要因って何かなーって。すると、やっぱり結論は「俺、ブログやってっから卍」になるんですよね。おっと、急にIQ下がったみたいなので元に戻します。

 コイツ、記事書くたびにブログブログやかましいなぁって思いますよね。私も皆さんの立場ならそう思います。でも、やってみるとわかるんですよ。ブログの凄さが。しかも、それを実感する時というのは、ブログ以外の活動をしてる時なんですよね。ブログを書く時は、本当にだらだらと思った事を書いてるだけなんですよ。はてブロのアプリを使えばスマホからでも簡単に書けるので、何なら布団の中でブログを書くこともしょっちゅうあります。まさしく片手間でこなすブログなんですが、やっぱり片手間でも、思考を表現する力って結構身につくものみたいなんです。不思議なもので。

 さらに言えば、書いてる題材ってそんなに特別なものじゃないんですよ。最近あんなニュースあったなぁとか、この前授業で先生こんな事言ってたなぁとか、日常生活の中のほんの些細なことなんですよ。私の場合は、そこに趣味の話とか、自分の思考回路を文字に起こしてみたものだったりとか、あとは何だかよくわからないやつとか(私の友人には、深夜テンションで頭がおかしくなってる時に書いた記事が好きだと言ってくれる人もいます)、色んなネタで書いたりもします。とにかく、日々ありふれたもので、ブログが書けてるんです。一応は。それが今回みたいなレポート課題だったとします。特に “所感を述べよ” という内容の時にはより真価を発揮するでしょう。つまりは感想文を書けばいい訳ですから、ブログと何ら変わりません。そして、課題と言うからには何らかの題材を与えられる訳ですよ。普段から、その辺に転がっている石を拾って何か工作できないかなーくらいの気持ちでブログを書く私にすれば、ネタもらえてるだけ書きやすいものですよ。何ならもらえるネタは、授業の課題になるような良質なものですから、言うなれば石ころを拾ってたらいきなりダイヤの原石を渡されるようなものですよ。だから、私は今回の課題をこなすのに、「何書けばええんじゃ…」という精神的苦痛をほとんど味わうことなく課題をこなすことが出来たと思うんですね。

 自分の考えを長々と書くことに慣れている人は、自分の意見・考え・所感などを述べるレポート課題をこなすのが精神的に楽になると思うのです。時々、レポートの書き方について書かれた本を目にします。私はそういう本を読んだことがないので、何も言えないのですが、本に書かれた内容とか、優れたレポートとかをそのまま倣って書くだけではなく、何度も何度も文章を書き、それに慣れることの方が、より効果的に自分なりの思考を表現する力が身につくんじゃないかなと。今回の課題をこなしながら、そう思いました。

 

 あと、1番大事なことを言い忘れてました。ブログを書くことでレポートを書くのが楽になることと、優れたレポートが書けることは比例しませんので、悪しからず。何せブログは片手間ですからね。身につく力も片手間相応のものだということです。