tairoの徒然日記

心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書く日記

思考の言語化

   先日、高校時代の友人が地元で開催した、小学生対象のイベントにスタッフとして参加した。イベントの中身としては、午前は「お勉強TIME」として小学生たちが自分の夏休みの宿題に取り組んだ後にチーム対抗で簡単なゲームをし、スタッフ(断じて私ではない)お手製の昼食をとった後、午後は場所を移して体を動かすというものだった。

   午前のお勉強TIMEにて、興味深い宿題に取り組む児童がいた。なんでも、新聞社に出す投書が課題になっているというのだ。その児童曰く「先生が勝手に決めて、それでみんな書かされてる」らしい。投書というのは、新聞等の読者が、自らの意見や感想を自由に書いて送るというものだ。この前提として、自分自身の意見を持つ人が、それを世間に表明・提起したいなどといった自発的な志向を持っているという点を考慮に入れるべきだろう。そうした場合、 “書かされた” 投書というのは、投書としての役割を果たすのか少し疑問に感じた。このような実態があるということを考えると、時折話題になる小学生の投書も、その児童が自発的に書いたものなのかどうか考えてしまう。特に、私のように性格の曲がった大人にとっては、恰好の餌となってしまうだろう。

   しかし、仮にそうであったとしても、自分自身の考えを文字に起こす機会を与えるという点において、投書を用いることは非常に効果的ではないかとも思う。今の私はこうして「ブログ」という媒体を用いて自分の考えを文字に起こす機会を作っているが、小学生時代にそのような機会があったかと聞かれると答えに困る。読書感想文とは大きく異なる形で自分が考えていることを文字に起こす経験ができるのは、とても有益に思う。自分の考えていることを文字に起こす作業は厄介である。小学生が読書感想文を後回しにしてしまうのも、その作業が厄介であることを無意識的に理解しているからではないかと思う。ましてや投書のように、特定のテーマや題材も自分で決める必要がある、完全なゼロベースから自分の考えを書くのは、さらに厄介である。今回の投書の課題が、学校の先生によってテーマが決められたものかどうかまではわからないが、いずれにせよ読書感想文の時のように、テーマが第三者的に決められた状態で書くものではないので、難易度としても読書感想文とは比べ物にならないくらい高いのではないかと思う。また、書かされたものであったとしても、自分の考えを表明しようという試みは、思考を整理する練習にもなり得る。まして、それを自分のことをよく知る先生やクラスメイトなどではなく、自分のことを何も知らない不特定多数の人の目に留まりうることを考えて書くことは、読書感想文とはまた違った点に注意が必要だろう。

   何度も同じ話を繰り返すようで申し訳ないが、ブログを書くのも非常に難儀する。投書同様ゼロベースから書くものだからである。しかしながら、私にとってブログという媒体は非常に有効的なものとなっている。実際、ブログを始めてから、私自身の “思考の言語化” 能力は格段に向上しているような実感がある。とは言え、この能力は上げられるだけ上げておくに越したことはない。私の意欲が絶えない間は、このブログも続いていくだろう。

まちがいさがし

 日本には昔からこんな奇妙な言葉がある。「他人の不幸は蜜の味」人の不幸話ほど面白いものはない。そういう考え方をする人間が多いという証拠だ。だが、誰しも間違いを犯すことはある。それら全部を逐一晒し上げて、笑い物にしたり、袋叩きにするのは如何なものだろうか。

 私の趣味とも大きく絡む話題だからかもしれないが、スポーツにおける誤審は、袋叩きに遭う間違いの典型例であると見受けられる。誰が見ても明白な誤審であれば、叩かれて当然であろう。しかしながら、世の中には、怪しいと思ったプレーを、わざわざコマ送りにしてまで誤審かどうかを確かめようとする、酔狂な連中もいる。さらに言えば、そのような連中は、そのスポーツの経験があまりない場合が少なくない。私がなぜそのように感じるかというと、問題となるプレーを第三者的視点からでしか見ていないような口ぶりをしている場合が多いからである。「ここ、ベースに手が届く前にタッチされてる。あの審判、誤審したな。」スポーツファンを自称する私からすれば、このような批判はしょうもない。審判がアウトと言えばアウト。スポーツというのはそんなものだ。さらに言えば、プレーをする選手もそんな程度にしか考えない。少なくともアマチュアにおいては、と枕詞を置くべきかもしれないが。と言うのも、自分たちのプレーを見せ物にして収入を得るプロの選手と、あくまでも自分たちの飽くなき向上心の結晶として大舞台でプレーをするアマチュア選手との間では、その根底は大きく異なっているからである。そのような根本的な違いがあるとは言え、選手たちは1つのプレーを毎回毎回引きずったりはしないはずである。少なくとも、私が現役でスポーツをしていた頃はそう考えていた。

 スポーツには心・技・体の要素が必要であるとよく言われる。私もその認識に異論はない。さもすれば、審判員に誤審をさせたのは、審判員自身の怠惰ではなく、プレーをした選手の気迫・気概であるとは考えられないか。時に心は技をも上回る。誤審はこれの表れであると見ることはできないのであろうか。無論、誤審を正当化しようというのではない。誤審がないに越したことはない。しかしながら、相手の技術をも勝るそのプレーを誤審だと一括りにするのも如何なものだろう。実際に選手としてプレーした経験がある人には理解してもらえると思うのだが、審判員の判断は試合の流れや雰囲気に左右されることが時々ある。それは、プレーしている選手たちにはあまりわからない程度ではある。プレーしている選手たち皆が異論を唱えざるを得ない判定であれば、それは誤審として処理されるべきであろう。さらに私に言わせれば、気迫の籠ったプレーを誤審だと片付けてしまうことの方がよっぽど興醒めする。ベースに手が届いてないのに審判がセーフと言ってしまうのは、それはその選手の気迫が審判員を含めた試合の雰囲気全体を支配してしまったからである。それはその選手の好プレーであることに間違いないだろう。アマチュアスポーツであれば、1つのプレーが自分の生活に関わる訳でもない。仮に後から誤審だと騒がれるようなプレーが原因で勝敗が決してしまっても、それは審判員の過失ではなく、選手自身の手柄であろう。それらを含めてアマチュアスポーツは面白いのではないか。まして、リプレイ検証の作業を素人がして、その判断までも素人がする。粗探ししながらスポーツ観戦することの何が面白いのだろう。もっと純粋にスポーツを楽しむことは出来ないのか。SNSで時折流れてくる、コマ送りにした誤審疑惑の映像を見ると、ついこんな事を考えてしまう自分がいる。

 そうは言っても、時には甘い蜜を吸いたくなることもある。蜜の味がする不幸話には、少なからず中毒性がある。他人を嘲笑うことによって得られる、優越感にも近いその快楽は、それ以外の何にも変えられない。だから人は他人の間違いを探そうとするのだろう。時々、蜜を啜る自分をはたと俯瞰すると怖気がする。

変化球

 暑い日が続いていますが、連日ワイドショーを盛り上げるホットな話題がいくつかありますね。忙しいながらも、ざっくりネットニュースに目を通していた私ですが、吉本興業の一件は非常に目を引きました。

 再三言葉の使い方だのなんだのをほざいてきた私も、とうとう喋りのプロに食ってかかる日が来た……訳ではありません(笑)。今回食ってかかるのは、社長の “あの” 記者会見です。

 実は、記者会見当日のあの時間、私は奇跡的に家に居たので、YouTubeで生配信されていた記者会見の様子を、一部だけですが、リアルタイムで見ていました。のちに物議を醸し出すことになったあの発言もリアルタイムで聞きました。「場を和ませる冗談のつもりだった」ってやつです。不覚にも笑ってしまいましたね。多くのお笑い芸人を抱える会社の社長の笑いのセンスは相当尖ってるなって。ですが、まぁ騒動の中身なんかはどうだっていいです。言ったらあれは “ただのお家騒動” でしかないので、部外者が安易に口出しすべきではないでしょう。

 しかしながら、あの発言がその場しのぎで苦し紛れの釈明だったとしても、自分が冗談のつもりで言ってることが、相手には本気で言ってるように聞こえていたなんて経験はありませんか?私はあります。だから、笑ってしまったと同時に笑えないなとも思いました。

 私の友人に、下ネタを「ネタ」として昇華させることに命を賭けている男がいます。周りの人間(私を含め)は、彼が発する下ネタに「上品な下ネタ」とかいう訳のわからない評価をしています。今回の「伝わらない冗談」と「上品な下ネタ」はある種同質のものではないかと思うのです。

 その彼はよく、「下ネタは文脈に合うように言わないと、それは下 “ネタ” ではなく、ただの汚い下品な言葉に成り下がる」と神妙な面持ちで言います。冗談だって一緒ではないですか?冗談が冗談だと伝わる文脈で言わないと、それは冗談ではなくなります。冗談や下ネタは、わざと多義的な言葉を選択することにより、初めて成立するものです。ですが、それが上手くやれる人でないと、コミュニケーションツールとして使うことはできないのです。生憎、私には下ネタを上品に言う技量はありません。しかしながら、それが冗談になるとそれなりに自信があります。私は私で、嘘・ハッタリが大好きなので、その使い方には多少心得があります。ましてや、私が言う冗談にはいつも皮肉を多分に含むので、難易度は更に高いのです(というか、自分で勝手に難易度を上げているだけですが)。ただの冗談ならまだしも、皮肉交じりの冗談なんて物は、使い方だけでなく文脈や、さらには自分の立ち位置などを総合的に考慮した上で使う必要があるのです。雇用主が雇用者に対して、話し合いの場でいきなり「テープレコーダー持ってないよな」なんてことを言えば圧迫ないしは脅迫になります。後輩が先輩のことを、自分のことを棚に上げて「あの先輩はバイト先では人望がありません」なんて言うのは単なる侮辱でしかありません。社会的立場が上の者が誤れば圧迫や脅迫、下の者が誤れば侮辱になってしまうのです。冗談や下ネタを使ってコミュニケーションをとるのはやはり難しいですね。まぁ地雷を踏むのが怖ければ、潔く言わない方が身のためでしょう。

 もうひとつ、この流れで言及しておきたいことがあります。それは「 “ネタだ” と言えば何を言ってもいい」みたいな風潮です。私はこれを自慢げに振りかざす人を見るといつも胸くそ悪くなります。不愉快です。当然、先程までの下ネタ然り、冗談然り、はたまたイジり然り、文脈を無視したそれらは、もはやコミュニケーションツールとは呼べません。いえ、呼ぶべきではありません。それらを使う場合は全て、話し相手に必要以上の不快感を与えないことが大前提です。その上で、上手い人下手な人が出てくるのです。仮に不快感を与えてしまったとしても、その後のフォローを上手くやれば “面白おかしい会話” という範疇に留めることだってできます。理想を言えば、フォローまでをできるようになって初めて冗談や下ネタを使うべきでしょう。

 何にせよ、会話はキャッチボールです。相手がいないと成立しないのです。冗談などという変化球を投げるのならば、相手が捕れるところに投げてあげないと、ボールは返って来ませんよ。

 

 とは言え、キャッチボールで変化球を投げるなんてこと自体がそもそも邪道なんですけどね。

 

進化と退化

 皆さん、お久しぶりです。多忙が極まり、1ヵ月も更新が止まっていましたが、無事に夏休みとなり、時間もそれなりにできましたので、また更新を続けて参ります!久々ですが、いきなりトップギアで飛ばしていきましょう!

 

 趣味の話もしたい!でも、それだけでは誰も読んでくれない!小さくも強固な苦悩を抱える今日この頃、皆さんはいかがお過ごしですか?

 少し前にはなるのですが、戦争に関するある映像を見ました。「731部隊」というのを聞いたことはないでしょうか。え、ない?うーん、そうですか…。まぁそれでも結構です。簡単に説明しておきましょう。「731部隊」とは、正式名称を関東軍防疫給水部と言い、戦時中に、当時禁止されていた化学兵器の開発を担っていた日本軍の組織の1つです。戦車や戦闘機が開発されていながらも、攻撃手段には主に火薬を用いていた当時の潮流に新たな流れを生み出さんとしていた組織なのです。科学の発展にはよくも悪くも目的が必要だとは思うのですが、戦争がその一翼を担っていたということの1つの表れでしょう。技術の発展=国の発展、国の発展=国の存続、つまり技術の発展=国の存続、そんな構図が当時には存在していたのでしょうね。

 実際の史実を追えばこのことがわかるのですが、それ以降のことはそれだけではわかりかねます。そこで、私が考察の対象に挙げるのはSFです。技術の発展の先に何があるのか、私にそんなことを考えさせた1つの作品をご紹介します。その作品は機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ(通称:鉄オルです。はい、鼻で笑ったそこのあなた。私は、そんなあなたを唸らせるような記事を書くことをここに宣言します。

 公式サイトの引用ですが、簡単にあらすじを紹介しましょう。

かつて「厄祭戦」と呼ばれる大きな戦争があった。その戦争が終結してから、約300年。

地球圏はそれまでの統治機構を失い、新しい支配体系をもって新たな世界が構築されていた。仮初めの平和が訪れる一方で、地球から離れた火星圏では、新たな戦いの火種が生まれつつあった。

主人公の少年、三日月・オーガスが所属する民間警備会社クリュセ・ガード・セキュリティ(以下:CGS)は、地球の一勢力の統治下にある火星都市クリュセを独立させようとする少女、クーデリア・藍那・バーンスタインの護衛任務を受ける。しかし、反乱の芽を摘み取ろうとする武力組織ギャラルホルンの襲撃を受けたCGSは、三日月ら子供たちを囮にして撤退を始めてしまう。少年達のリーダー、オルガ・イツカはこれを機に自分たちを虐げてきた大人たちに反旗を翻してクーデターを決意。オルガにギャラルホルンの撃退を託された三日月は、CGSの動力源として使用されていた「厄祭戦」時代のモビルスーツガンダム・バルバトスを用いて戦いに挑む。

g-tekketsu.com

まぁ、何の事やらわからないと思います。正直なところ、ストーリーの内容は今回の記事にはあまり関係ありませんので、別にこれを理解してもらう必要もありませんし、特別説明も加えません。ですが、あえて一言付け足すのであれば、ガンダムをまったく知らない人にも見てもらえる作品である、ということでしょう。

 さて、本題に戻りましょう。私があえてこの作品を選んだのには、それなりの理由があります。と言うのも、この作品と他のガンダムシリーズ作品とでは大きく異なる点があるのです。それは、モビルスーツ(MS)同士の戦闘シーンにあります。他のシリーズだと、ビームサーベルビームライフルに代表されるビーム兵器であるとか、脳波で動かすサイコミュやドラグーンシステムなど、時代を追う(現実・シリーズ中に関わらず)ごとに、登場する兵器の科学的要素がどんどん増していきます。そこで一石を投じたのが鉄オルなのです。鉄オルに特徴的なのは、MS同士の肉弾戦です。技術が高まりすぎて、もはやビーム兵器が通用しなくなり、実弾を用いたり、殴る蹴るで攻撃するようになったのです。つまり、技術が進化した先に待っていたのは退化だったという訳なのです。

 かつて、かの有名な科学者アルベルト・アインシュタインは、このような言葉を残したと言われています。

第三次世界大戦がどのように行われるかは私にはわからない。だが、第四次世界大戦が起こるとすれば、その時に人類が用いる武器は石とこん棒だろう。

もし仮に、第三次世界大戦が起きるとすれば、それは核戦争になるだろうと言われています。これは技術の進化の過程と言えるでしょう。ですが、核兵器が使われたあとはどうなるでしょう。文字通りの不毛の地となり、残留する放射能によって人も住めなくなることは、日本人である皆さんには、もはや言うまでもないことですよね。進化を遂げた文明の利器によって、文明の退化が起きるのです。そうして、退化した文明のもとで起きる第四次世界大戦は、そりゃあ石とこん棒でやりあうでしょうと、アインシュタインはこう予言した訳です。

 鉄オルの制作サイドがこれを話に取り入れたのかは定かではありません。ですが、少なくとも現実世界において進んでいくであろう道を、SFでは既に通り越しているのです。私が先ほどのアインシュタインの言葉を知ったのはごく最近で、鉄オル放映当時は知らなかったのです。当時の私は、現実世界でも科学の進歩によって今までの常識が通用しなくなる時代がくるのかなぁなんてことを考えていました。

 アニメの世界観を現実世界に持ち込んでいる時点で既にオタク丸出しな感は否めませんが、逆を言えば、そういう考察を可能にするのがSFのいいところではないかと思うのです。作品によっては社会状況を反映して制作されているものもあります。そういった視点もあるということを知った上で、ぜひ鉄オルを見てみてください。作品自体も相当面白いものとなっています。

 

 

墓穴

 暑くなったり涼しくなったり、体調管理が大変な時期になってきましたね。

 

 さて、先日せっせとネットニュースを見ていますと、1つ気になる記事が。

乃木坂46メンバー、献血未経験!」

みたいな見出しの記事でしたかね。まぁ、大事なのは中身なんで、見出しなんかどうでもいいです(そうではない)。

 ここではあまり言ってませんでしたが、実は私、大学で献血推進活動を行うサークルに所属しています。なので、献血に関する記事は非常に関心がある所であります。今回取り上げたその記事も、そういった志向から閲覧したものでした。

 そのニュース記事の内容というのが、大変興味深いものでありました。現在、日本赤十字社は「みんなの献血」と題して、乃木坂46を広告塔に、多くの人の献血参加を呼びかけるキャンペーンをしています。そのニュース記事では、メンバーたちと、とある記者との記者会見でのやりとりがどうやら目をつけられたようでした。ざっくり要点だけを言うと、献血をしたことのない乃木坂メンバーが、献血への協力を呼びかけるのはいかがなものか。」という内容でした。

 私は疑問に思いました。というのも、私が所属するそのサークルにも献血ができないメンバーが多くいたために、何故彼女たちが批判を受けていたのか皆目見当もつかなかったのです。そのニュース記事の主張は献血をよく知らない人が、献血推進をしてもよいのか。と言うよりできるのか。」ということだと1人の読者たる私には感じました。その意見には概ね異論ありません。献血に限らず、それをよく知らない人に勧められても、興味を持つことはあまりありません。私が異を唱えたいのは献血していない=献血を知らない」という論理展開に対してです。確かに、記者会見に関する記事をその他にいくつか読む限りでは、乃木坂メンバーの対応からは献血に対する理解ができているとは決して言えません。ですが、彼女たちを批判するニュース記事を書いたその記者の方にも、献血への理解はできていないように私には見えます。(一応真面目に)献血推進活動に取り組んでいる私に言わせればまさしく醜い泥仕合です。

 何事も、そのことを知るにはまずやってみることだと言われます。百聞は一見にしかずというところでしょう。ですが、献血に限って言えば、やってみたいと思ってもできない人がいるということを、忘れてはいけません。献血の大前提は「健康な血液を寄付する」ということです。そのため、献血の前には多くの問診を受けます。さらに、献血には年齢・体重制限があります。これらはすべて、血液を受け取るレシピエントのみならずドナーの健康をも守るためのものです。

 今回の件に当てはめれば、おそらく乃木坂メンバーは体重制限に引っかかってしまうのではないかと思います。(見るからに体重が足りてないでしょうから…。)ですが、イメージ戦略等の関係から、メンバー自身の口から自らの体重に言及することもできず、結果として、記者たちに誤解を与えるような曖昧な受け答えをせざるを得なかったのではないかと推測できます。

 私がこの記事で、そのニュース記事を取り上げたのは、単なる批判が目的ではありません。それだと、ただ悪口を言うだけの寒い人になってしまいますから。この記事の真意はそうではなく、人間の説得力の根拠とは何かということです。おそらく、献血に明るくない人は、そのニュース記事を読んで、「いくら知名度の高い乃木坂とは言え、献血したことない人に行けって言われたって行く訳ないよな。」と安直に思ってしまうと思うんです。ですが、多少なりとも理解のある人間からすると、むしろ説得力がないのは、そのニュース記事の方だと思ってしまうのです。「いや、献血できない人が献血呼びかけて何が悪いんだ。自分は献血できないけど、何か協力したいって思ってる人はそうするしかないじゃないか。」と、私なんかは思うわけです。

 普通のネットニュースの記事は「一般向け」つまり「多数派の人向け」に書かれるものだと思います。だとすると、私が取り上げたそのニュース記事のライターは献血したことない人から勧められても献血に行かない人」が一般的な考えだと捉えていると言えます。それに当てはまる人からすれば、そのニュース記事は非常に説得力があるように見えますが、そこに当てはまらない人は逆に説得力を少しも感じません。さらに、そのニュース記事の痛いところは、それを批判する可能性がある相手が、その道に明るい人だということです。つまり、その記事よりも、さらに専門性の高い批判を受ける可能性があるということです。せっかくの批判的思考が、より専門性のある言説によって、さらに批判される訳ですから、説得力は激減します。その道に明るくない人は、より信ぴょう性の高い主張をする側を信用するでしょうから、これは必然です。

 何かを主張するときには説得力がある発言をしなければなりませんが、力点の置き所を間違うと全く響かない主張になってしまうということがこのニュース記事からわかりました。一見すると的確に見える批判でも、多角的な見地から考察できていなければ、それはかえって自分の墓穴を掘ることにもなりかねません。相手を埋めるつもりだった墓穴に自分が入ってしまわないように、自分の主張にも細心の注意を払わなければいけませんね。

 

 

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A New Hero, A New Legend. ~平成ライダー布教活動その2~

 今回からは個別の作品について、私が視聴して感じたことを長々書いていきます。

 この記事のシリーズのコンセプトとしては、作品の順番は気にせず、書きたい作品から書いていきたいと思っているのですが、やはり最初は平成第1作の「仮面ライダークウガ」がいいかなと思ったので、今日は仮面ライダークウガについて私なりの考察を書いていきたいと思います。

 

 なお、記事の性質上、ある程度のネタバレを含む内容となっています。私に言わせれば、ネタがバレていても面白いのが平成ライダーのいいところでもあります。ですが、私個人の価値観を押し付けるわけにもいきません。ネタバレが嫌だという方にはブラウザバックを推奨します。

 

 簡単なあらすじについては

 

tairo0079.hatenablog.com

 

でも紹介しています。

記事の目次からクウガの記述にも飛べるので、該当箇所だけでも読んでからこの記事を読むと、より雰囲気が伝わるのではと思います。ぜひご一読ください。

 

*目次

 

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内容考察

作品の主題

 私が思うに、この作品の主題は、「“力” とは何か」ということだと感じました。

 ひょんなことからグロンギと戦うことになった雄介。相手が怪人とは言え、自分以外の何かに拳を振るうことに少なからず抵抗感を持ち続けていました。

 第2話の「見ていてください!これが俺の……変身!!」という雄介のセリフ。これがこの作品において非常に大きな意味を持ちます。突然手にした大きな力に戸惑いながらも、その力は “誰かを傷つけるためのもの” ではなく “誰かを守るためのもの” だと考えるようになります。誰かといる時には、いたって能天気な行動・言動ばかりの雄介ですが、誰もいないところで1人苦悩する姿が、特に終盤にかけて目立ちました。

 また、自分が持つ力がグロンギと同質のものだということがわかってくると、その力自体にも恐怖を抱き始めます。しかし、雄介は誰かが笑顔になれるなら自分の身がどうなろうと構わないと考え、椿に電気ショックを打たせるために自らの意思で心臓を止めるという暴挙に出ます。その結果、黒の力を手にします。そうして、雄介にとってクウガの力が何なのかがダグバとの戦いを通して結論されるのです。

 第48話でのダグバとの最終決戦は、ファンの間では “悲しき肉弾戦” と呼ばれたりもします。クウガとの戦いを心底楽しむダグバ、ダグバとの戦いを心底嘆き悲しむ雄介。2人にとっての戦いはまるで正反対のものです。いくら相手が諸悪の根源たる存在であっても暴力をふるうことを嫌う雄介の優しさと、そこまでの強大な力をつけなければならなかった苦悩を垣間見ることができます。

 

ダグバとクウガ

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ダグバvsクウガ 「悲しき肉弾戦」

 ダグバとの関連で私がもう1つ注目すべき点だと考えるのは、ダグバとクウガの色です。ダグバとの決戦を前にして、雄介は禁断の力だとされる黒の力(アルティメットフォーム)を手に入れます。対して、グロンギの最高実力者、ン・ダグバ・ゼバは白い姿をしています。普通は逆だと思うんです。正義の味方が黒で、諸悪の根源が白。色だけ見ると、どっちがどっちなのかわかりません。色の違いが何を表現したものなのかは人によって解釈が違うと思います。クウガが持つ力がダグバと同質であり、クウガの持つ力が必ずしも正義であるとは限らないということを表現したというのが私の解釈です。

 

クウガの立ち位置

 「仮面ライダー=孤独な戦士」というのは昭和ライダーにおける前提であり、テーマの1つと言われています。実際、平成ライダーであるクウガは様々な人たちと協力しながらグロンギの撲滅を行っています。

 しかし、私にはクウガないしは雄介がとても孤独に戦っているように感じました。確かに、桜子の解読がなければ力の使い方もわからないし、一条さんから譲り受けたバイクがないとグロンギと戦うこともできない、榎田さんが開発する武器がなければ倒せなかったグロンギもいたし、椿がいなければ、体内のアマダムの存在すらも、さらには金の力、黒の力を手にすることもありませんでした。その一方で、人間が人間の力だけで倒すことのできたグロンギは作中ではドルド1体だけでした。技術を結集させて倒すことができたとみてとることもできますが、やはり私には両者が立つ位置はまるで違うように感じました。雄介は少なからずそれを感じていたはずなのです。雄介は誰よりも孤独だったのです。その点については、昭和ライダーの作品の中での立ち位置を継承した点でもあると思います。共闘する2号ライダーがいなかったことも大きいと思いますが、平成ライダーにおいて、1人孤独に戦ったライダーは後にも先にもこのクウガだけです。

  さらに、雄介がいかに孤独に戦ったかを最も効果的に表現したのは、最終話である第49話だと思います。この話において、雄介の姿は最後の数十秒にしかありません。ダグバ戦で精神を激しく病んだ雄介が旅に出たというのが一般に言われている見解です。私自身もこれには賛同します。しかし、それだけではないとも思います。第49話では、主要な登場人物たちが雄介に対して各々思いをはせる場面がメインです。ここにこそ、雄介の孤独が表現されているように私には感じられるのです。この場面で、登場人物たちは「雄介は今どこで何をしているんだろう」と思いをはせていきます。この演出が、私には彼らがあくまでも雄介のいわば “関係者” であり、戦士として戦い抜いた雄介とは一線を画した何かを感じました。

小結

 ここまで、私自身の見解を述べてきましたが、本作に通じて言えることは、TVシリーズ全49話を全て観ただけではよくわからないということです。逆を言えば、私がここまでの内容を述べることができたのは、ある程度の予備知識があったからで、さらに言えば、観賞のあとにも気になった事柄については自分で調べたりもしています。前述の内容考察、この後ろに書き添えてある基本的な用語解説にも、本編に登場しない言葉が多く出てきます。この記事のシリーズに「平成ライダー布教活動」と付している以上、私がこの記事(もしくは今後書くであろう同様のタイトルをつけた記事)を執筆する目的は、仮面ライダーにあまり興味がなかった人にも興味を持ってもらうことにあります。とすると、この「仮面ライダークウガ」を考察してわかったことは、この作品は 仮面ライダー初心者” には少々ハードルの高い作品であるということです。この作品からは、平成ライダー」シリーズは単なる子ども向け番組ではないということは十二分に伝わるのですが、それゆえに話の展開がよくわからず、作品を楽しめないというおそれがあります。申し訳ないですが、この記事の特に内容考察の部分は作品が楽しめるような補助的役割を持たせることはしていません。あくまで、この記事は私が「仮面ライダークウガ」という作品を観て感じたことを書いただけのものです。その点についてはご了承いただいたうえで、もし皆さんがこの作品をご覧になったのであれば、ぜひその感想を語らいましょう。

 次回はあまり仮面ライダー作品になじみがない人でも、もう少し気軽に観て楽しんでもらえる作品について内容考察していけたらと思います。候補としては、「最初からクライマックス」なライダーか、「2人で1人の仮面ライダー」か、そのあたりを考えています!

 

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用語解説

仮面ライダークウガ

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仮面ライダークウガ

 五代雄介が変身する戦士で、グロンギから市民を守るために戦う。赤のクウガ(マイティフォーム)が基本フォームであり、相手に合わせて、青(ドラゴンフォーム)緑(ペガサスフォーム)紫(タイタンフォーム)超変身する。見た目の変化だけでなく、それぞれの姿ごとに何かしらの能力が超能力的に上がっている。また、赤のクウガ以外には専用武器があり、形状の似たものや同じような用途のものを持つとそれに変化。ただし、雄介が変身解除すれば元に戻る。クウガは、グロンギに刻印を打ち込むことで倒すことができ、赤のクウガ以外の専用武器はそのためのものでもある。1度グロンギの攻撃によって生死をさまよったことがあり、椿が治療のために行った電気ショックによって、碑文にも記されていない新しい金の力(ライジングフォーム)を手に入れる。しかし、当初は力が強大すぎるために30秒という時間制限があり、これを過ぎると白い姿(グローイングフォーム)に戻ってしまい、変身解除後から2時間再変身が不可能だったが、ガドル撃破直前の2度目の電気ショックの後は時間制限がなくなった。グロンギとの最終決戦である対ダグバ戦に際して、禁断の黒い力(アルティメットフォーム)を手に入れた。見た目のモチーフはクワガタムシだといわれている。

マイティフォーム / ライジンマイティフォーム

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マイティフォーム

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ライジングマイティフォーム

 赤い姿のクウガであり、クウガの基本フォームである。碑文には「邪悪なる者あらば 希望の霊石を身に付け 炎の如く邪悪を打ち倒す戦士あり」とあった。戦闘スタイルは武器などは使わない肉弾戦。スピード・パワーのバランスが良いので、まずはこのフォームに変身して相手の特徴をつかみ、有効と思われるフォームに超変身する。右足により強い力が宿っており、グロンギを倒す際は、その力に雄介の107番目の技を組み合わせた、ライダーシリーズ伝統のライダーキック(技名は「マイティキック」)を使ってグロンギに刻印を打ち込む。そのため、刻印を打ち込むための武器は必要としない。金の鎧を纏うライジングフォームになると、右足の脛付近に金の装甲が現れ、右足の力が強化される。金の戦士の中では1番力が大きいと思われる。

ドラゴンフォーム / ライジンドラゴンフォーム

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ドラゴンフォーム

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ライジングドラゴンフォーム

 青い姿のクウガ。碑文には「邪悪なる者あらば その技を無に帰し 流水の如く邪悪を薙ぎ払う戦士あり」と記されていた。全体的なパワーはかなり低下しているものの、超能力的な高い跳躍力・瞬発力を持つ。戦闘スタイルはドラゴンロッドを使った棒術がメイン(これが雄介の何番目の技なのかは不明)。一撃必殺というより、スピードを活かして手数勝負で敵を倒す。ドラゴンロッドはパワー不足を補うものという位置づけと思われる。ライジングフォームになると、ドラゴンロッドの両端に刃のようなものが現れる。必殺技はドラゴンロッドの連続攻撃で敵の体に刻印を打ち込む「スプラッシュドラゴン」。

ペガサスフォーム / ライジンペガサスフォーム

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ペガサスフォーム

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ライジングペガサスフォーム

 緑の姿のクウガ。碑文には「邪悪なる者あらば その姿を彼方より知りて 疾風の如く邪悪を射抜く戦士あり」とあった。大きな特徴は、鋭敏化した感覚である。戦闘スタイルはペガサスボウガンを使った射撃・狙撃スタイル。遠距離攻撃主体の敵や空を飛ぶ敵、姿を消す敵に対して有効な姿で、鋭くなった視覚・聴覚で索敵し、狙撃する。ライジングフォームになると、ペガサスボウガンに、ドラゴンロッドと同様の刃のような造形の銃身が現れる。必殺技はペガサスボウガンから発射される空気弾によって遠距離から刻印を打ち込む「ブラストペガサス

タイタンフォーム / ライジンタイタンフォーム

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タイタンフォーム

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ライジングタイタンフォーム

 紫の姿のクウガ。碑文には「邪悪なる者あらば 鋼の鎧を身に付け 地割れの如く邪悪を斬り裂く戦士あり」とあった。ある程度のスピードを犠牲にしながらも、どのフォームにも勝る強靭な鎧を持つ。戦闘スタイルは、タイタンソードを使った斬撃が主体。ちょっとやそっとでは怯まない強靭な体で敵に接近し、強烈な斬撃で敵を倒していく。ライジングフォームになると、タイタンソードの先端にこれまでと同様の造形の刀身が現れる。また、タイタンソードの複数生産も可能。必殺技はタイタンソードを敵の体に突き刺し、刻印を打ち込む「カラミティタイタン」。

グローイングフォーム

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グローイングフォーム

 白い姿のクウガ。この姿になるときは、肉体的または精神的なダメージを負っているときである。初変身の時は、雄介のクウガとして戦うという決意が弱かったためにこの姿になったと考えられ、実際に決意を固めたあとの変身ではマイティフォームに変身できていた。身体能力は非常に低いが、マイティフォーム同様に右足の攻撃(「グローイングキック」)により敵に刻印を打ち込める。

 

アメイジングマイティフォーム

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アメイジングマイティフォーム

 2度目の電気ショックの後に変身可能となった姿でマイティフォームが黒くなっている。作中には1度しか登場しておらず、力の詳細は不明だが、ライジンマイティフォームの時には右脛にしかなかった装甲が両脛についていることから、右足だけでなく両脚の力が強化されたと思われる。碑文にはこの力についての記述はないと思われる。禁断の黒い力の前段階的な位置づけ。ダグバの前に戦ったガドルはこの力でないと倒せなかった。必殺技は両脚でのキックで相手に刻印を打ち込む「アメイジングマイティキック」。

アルティメットフォーム

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アルティメットフォーム

 黒い姿のクウガで角が4本に増える。碑文には「聖なる泉枯れ果てし時 凄まじき戦士雷の如く出で 太陽は闇に葬られん」とあったが、雄介は「聖なる泉」を枯れ果てさせることなくアルティメットフォームに変身し、またしても伝説を塗り替えた(ちなみに1度目はライジングフォームの誕生)。究極の闇をもたらす者などと言われ、最終決戦であるダグバ戦でのみその姿を披露した。ラスボスだと言われても違和感がない見た目をしている。戦闘スタイルはマイティフォームのような肉弾戦。また、ダグバと同様に、あらゆる物質に対して発動できる超自然発火能力を持つほか、本編には登場していないが、ダグバと同等の能力を持っていると考えていいだろう。

 

グロンギ

 古代から蘇った怪人たちの総称。ゲゲルと称して人間を殺戮する。各個体にはグロンギ同士で呼び合う名前がそれぞれにあるが、作中では、未確認生命体(しばしば “未確認” と省略される)という呼称で呼ばれ、出現が確認された順に数字を付して “未確認第○号(または番号のみ) と呼ばれる。当初はクウガグロンギの区別がなされていなかった関係で、クウガも未確認第4号と呼ばれる。彼らは独自言語(通称 “グロンギ語”)を使う。それには規則性があり、現代語への翻訳も可能。さらに、グロンギ内には階級があることが本編から確認できる。中・上級のグロンギたちはクウガ同様に周りのものなどを自分の武器に変えることができ、クウガ同様自らの姿を変えられる個体も存在。また、グロンギたちは人間の姿になることもでき、社会に紛れるために現代日本語を習得するなど、知能も非常に高い。人間を “リント” と呼び “ゲゲル(=ゲーム)” と称して、自分たちで条件を設けた上で大量殺人を行う。

グロンギの名前

 グロンギの名前は「○・△△△・□」という形式(ex.ン・ダグバ・ゼバ、ゴ・ガドル・バ)であり、1文字目の「○」が階級にあたり、いわゆる個人名は「△△△」、「□」は種族を表していると思われる。作中では個人名である「△△△」で呼びあっている。名前の最初の1文字目が という順に、階級のみならず強さ・知能などの諸能力が上昇すると思われ、ゲゲル成功により昇格が可能とみられる。ン集団はダグバのみであり、グロンギたちの事実上の統率権はラ集団にあるとみられる(現代の象徴天皇制と同様と想像するとわかりやすいか)。また、ゲゲルに参加していないために詳細は不明だが、武器の製作を行うヌ集団の存在が確認できる。そして、種族を表す「□」については、いくつか分類が曖昧な個体もあるが、およそ「バ=昆虫類及びそれに近似する虫類」、「グ=鳥類及びそれに近似する動物」、「ダ=哺乳類」、「ギ=魚類及び水生・海洋生物」、「デ=植物類及び菌類(キノコを含む)」「レ=爬虫類」のように分類できる。

 人間はグロンギのことを一般に「未確認生命体」と呼び、存在が確認された順に番号を振って「未確認(生命体)第○号」という呼称を用いている。人間態とグロンギ態とを区別するため、人間態のグロンギを「B群」とし、「未確認B-○号」と呼称を使い分けている。また、当初はクウガグロンギの区別がされていなかった関係で、番号にはクウガも含まれる(グローイングフォーム:第2号マイティフォーム:第4号)。

ゲゲル

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ゲゲルの腕輪 / グセバ

 グロンギが行う大量殺人。ゲゲルは「ムセギジャジャ(プレイヤー)」が1人ずつ行うとみられ、何らかの規則性に基づいて実施される。ゲゲルの目的は自らの階級の昇格であると思われる。ゲゲルにもいくつかの種類があると思われ、作中では、ゴ集団が行うゲゲルを「ゲリザギバス・ゲゲルセミファイナル・ゲーム)」と呼ぶ。これを成功させた者は、「ザギバス・ゲゲル(ファイナル・ゲーム)」でダグバと対決する。ズ集団・メ集団のグロンギたちはゲゲルを行う際に、殺したリントを数えるための腕輪(グセバ)をしており、腕輪が破壊されると、最初からやり直すというルールがあると思われる。ズ集団・メ集団は殺害したリントの数を自己申告していたが、終盤になると、ドルドが「バグンダダ(カウンター)」と呼ばれる謎の道具でゴ集団の殺害リント数を数える役割をしている。ゲゲルに成功すると階級を昇格でき、作中でガルメがゲゲルを成功させてズ集団からメ集団へと昇格している。

 

アマダム

 アークルに埋め込まれている霊石。同質のものがグロンギの体内やゴウラムにもある。変身解除しているときは雄介の体内に存在している。椿いわく、アマダムと体内の神経伝達組織が複雑に絡み合い、身体機能に大きな影響を及ぼすという。雄介の人間超越的な驚異的回復力もその影響。ゴウラムのアマダムと雄介のアマダムは互いに共鳴していて、雄介がゴウラムの必要を感じると、ゴウラムがやってきて雄介のバイクと融合する。また、アマダムは雄介の意思と密接に結びついていると思われ、雄介が強くなりたいと感じれば、アマダムから新たな力が発揮されていく。また、電気エネルギーが強く影響するようで、椿が治療のために雄介に施した電気ショックによって、アマダムから与えられる力が強くなる。この傾向はグロンギにも同様で、ゴ・ガドル・バ は電気エネルギーによって、クウガと同様の金の力を手にしている。

 

ゴウラム

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ゴウラム(写真上)

 九郎ヶ岳遺跡から発掘された石片が集まったもの。巨大なクワガタムシの形をしている。ゴウラムの頭部には古代文字で「馬の鎧」になると記されており、後に雄介が警視庁(一条)から譲り受けたバイク(トライチェイサー2000ビートチェイサー2000)と融合する(融合後はそれぞれトライゴウラムビートゴウラムと呼ばれる)。雄介の体内にあるアマダムと同質の霊石が埋め込まれている。周辺の金属を吸収してゴウラムの姿になっているようで、初登場後に一度だけ石片の状態に戻っていた。トライチェイサーと融合後は石片に戻ることはなくなったが、トライチェイサーの方が金属疲労により劣化が激しくなっていた。また、トライゴウラム・ビートゴウラムは、搭乗中のクウガライジングフォームに超変身すると、ゴウラム側にも金の装甲が追加で装備される。なお、グロンギもバイクのことを「鋼の馬」と呼んでいた。

 

主な登場人物

人間

五代雄介

演:オダギリジョー

 

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五代 雄介

 2000の技を持つ男を自称する冒険家(フリーター)で、出会う人に手作りの名刺を配っている。2000年までに2000個の技を習得するというのは、小学生時代の恩師との約束。雄介自身は2000の技をすべて記憶しているだけでなく、自分が渡した名刺が何個の技を持つときに渡したものだったかも正確に記憶している。1番目の技は “笑顔” で、2000番目の技は “クウガの変身” 。第1話でグロンギによる長野県九郎ヶ岳遺跡襲撃に偶然出くわし、発掘されたベルトを巻き、未確認生命体第2号(仮面ライダークウガ グローイングフォーム)に変身。続く2話で、ベルトの力を正義のために使うことを決意し、赤い姿の未確認生命体第4号(クウガ マイティフォーム)に変身。以降、グロンギから市民を守る正義の味方として戦いに身を投じていく。小学校時代の恩師から教わった右手のサムズアップが癖となっている。

 

沢渡桜子

演:村田和美

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沢渡桜子

 城南大学考古学研究室の研究員。作中では修士論文の執筆に取り組む姿も見られることから、修士課程の大学院生だと思われる。雄介とは以前からの知り合い。九郎ヶ岳遺跡から発掘された遺物に刻まれた古代文字の解読をして、雄介の力が何なのかを学術的に解明しようと尽力。彼女の研究室の同僚であるジャンは、同様に発掘されたゴウラムの調査を行っている。

 

一条 薫

演:葛山信吾

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一条 薫

 グロンギによる一連の事件の調査の関係で、長野県警から警視庁へ出向となった警察官。警察組織の内通者的な立場で雄介の戦いを全面的にサポートする。雄介が乗るバイクも一条が警視庁上層部と掛け合って渡したもの。高身長イケメンであるが、仕事に一途すぎて恋人ができず、上司や昔の知り合いなどにいじられる場面も多々ある。

 

榎田ひかり

演:水島かおり

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榎田ひかり

 科警研の研究員。未確認生命体に有効な武器の開発を行うほか、城南大学の研究員であるジャンと共同でゴウラムの科学的調査も行う。仕事熱心な性格で、徹夜で作業する姿が度々描かれる。1人の息子を持つシングルマザーで、作中では家庭を顧みない行動を彼女の母に咎められる様子が多く描かれる。

 

椿 秀一

演:大塚よしたか

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椿 秀一

 関東医科大学付属病院の医師。一条とは古くからの付き合い。彼の紹介によって、雄介を医師としての立場からサポートすることになる。雄介の体内に霊石 “アマダム” があることを発見したのも椿である。プレイボーイな一面もあるが、根は真面目。

 

グロンギ

バラのタトゥーの女(ラ・バルバ・デ)

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バラのタトゥの女(ラ・バルバ・デ)

 未確認第B-1号。数多いるグロンギたちを取り仕切る役割をしている、人間の女の姿をしたグロンギ。作中でグロンギ態は見せていない。公衆の面前にも関わらず、グロンギ語で口論をしていたグロンギたちを「ここではリントの言葉で話せ。」と言っていさめたことがあり、以降ファンの間では、相手が何を言っているかわからないときにこのセリフがスラングとして使われるようになった。クウガというよりは一条の因縁の相手であろう。

ズ・ゴオマ・グ

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ズ・ゴオマ・グ 通常体

 未確認第3号。序盤から終盤まで登場しているグロンギだが、ズ集団であることから、下級のグロンギである。そのため、自分より上位のグロンギたちに軽蔑され続けており、それらを見返そうと様々な手段を使って、自らの力の強化を図っている。最後は打倒ダグバを画策したために粛清され、爆散しなかった死体は椿によって解剖された。その結果、クウガグロンギが同質の存在であることが科学的に証明されることとなった。

ゴ・バダー・バ

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ゴ・バダー・バ

 未確認第41号。グロンギのなかで唯一バイクに乗る、赤いマフラーが特徴的な個体。作中では、クウガとバイクで張り合う姿がたびたびみられた。クウガの乗るトライチェイサー2000はスペックではバダーのバイクにかなわなかった。しかし、一条から新たにビートチェイサー2000を授かり、バダーを見事撃破した。ファンの間でも人気が高い(?)グロンギ。モチーフについては、バッタ説と初代1号ライダー説が存在する。

ゴ・ガドル・バ

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ゴ・ガドル・バ 格闘体

 未確認第46号。クウガと同様に自らの姿を変えて戦うことができるグロンギ。また、変電施設を襲撃し、体内のアマダムに電気エネルギーを蓄えたことで、クウガと同じように金の鎧を身に纏うことができるようになった。ダグバ戦までのグロンギの中で最もクウガを苦しめた個体であろう。

ラ・ドルド・グ

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ラ・ドルド・グ

 未確認第47号。バルバ同様、グロンギの統率を役割とするラ集団のグロンギ。人間態で活動するのがほとんどで、ゴ集団のゲゲルの補助的役割もしている。自身がゲゲルに参加している様子は本編からは見られないが、他の個体の粛清なども担当しているようである。

ン・ダグバ・ゼバ

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ン・ダグバ・ゼバ

 未確認第0号。究極の闇を齎す(もたら・す)者とされる。すべてのグロンギを超越する超能力的な力を持つ。作品に登場するグロンギを復活させたのもダグバであるとみられており、グロンギの封印を解くというのも、ダグバが持つ能力の1つであると思われる。その他、作中で見せた能力(と思われる力)としては、テレポート、超自然発火(パイロキネシス)、精神干渉などである。また、最終話にクウガとダグバが変身解除した状態での肉弾戦から、両者に力を封印する能力があったとも考えられるが、クウガが心身のダメージによって変身状態を維持できないことから、双方の攻撃によるダメージによる変身解除とも考えられるので、詳細は不明。

 

 

 

*記載のないグロンギの名前・画像については以下のリンクの参照を推奨する。

matome.naver.jp

 

*現在、東映の公式YouTubeチャンネルでは、各平成ライダーの第1話、第2話を無料で視聴できます。

 

 

 

 

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火気厳禁

 私は負の感情を表に出すことをあまり好まない。そのため、それを内に溜め込むことが多い。しかしながら、最近はそれでは収まらないほどの負の感情が湧き上がってしまっている。原因は既に判明している。「人間関係」である。私も、ようやく現代人的な悩みを持てるようになったかと若干喜ぶ一方、それがストレスとして私を強く苦しめている。その相手というのも、もともと苦手な相手であったのを、どうにか冷たく接しすぎないよう、私が出来うる限りの譲歩をしてきた人間なのである。そんな私からすれば、その彼もしくは彼女の行動は全くもって不徳の致す限りであると強く感じる。恩を仇で返された気分とでも言おうか。ただ、その恩も、私の一方的で個人的事情に基づく、不要の気遣いによるものであったのだが。だがしかし、私は憤っている。憤怒。おこ。おっと、これは失敬。つい取り乱してしまった。話を戻すと、最近の私は、負の感情という名の有毒ガスを内に溜めこんでしまっているのである。

 「馬鹿につける薬はない」とよく言うが、おそらくその彼もしくは彼女にも、どんな聖人の爪の垢を煎じて飲ませても、効果はまったく無さそうである。その崇高なる自尊心をへし折ることは私にとっては造作もないが、夏目漱石先生の『こころ』に登場するK氏のように、それが原因で自殺されてもそれはそれで困る。と言っても、その彼もしくは彼女は、K氏のような思慮深い人間でもないのだが。だからこそ、溜まるのはただのガスではなく、有毒ガスなのだ。溜まっていくそのガスによって、私はゆっくり、そして確実に心身を侵されていく。

 とある漫画に出てくる台詞に「あまり強い言葉を使うなよ。弱く見えるぞ」というものがある。その言葉には強く同意するが、今の私はそんなことは構わないから好きなことが言いたいのである。せっかく言論の自由が保障された国にいるのである。その権利を存分に使わせていただきたい。もうお気づきだろうが、たった今、このブログは私の心の声の吐き溜めとなってしまっていることをどうかお許しいただきたい。時々こうしてガスを抜かないと、何がきっかけで大規模なガス爆発を起こすかわからない。仮に起きたとして、どの程度の範囲に影響を及ぼすことになるかは皆目見当もつかない。周りの人を巻き込むのはいささか気が引ける。だから、こうしてブログの記事として私の負の感情という名の有毒ガスを昇華させることによって、その蓄積量をどうにか減らしていこうとしているのである。と、ブログをガス抜きの有効な手段とすることを、自分の中で正当化する理由を作り出すことに成功した。

 どうだ。私が弱く見えるか。いささか小さい人間にも見えるだろう。見えたなら見えたでいい。だが、私とて人間。腹が立つことはある。それで小さいだのなんだの人を偉そうに評価している奴の方がよっぽど小さい人間だと思うが。なんてくだらないことを考えていると、私のどこかすぐ後ろの方からも少量の有毒ガスが漏れ出ていく音がした。

 

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